前回は「証拠」について書きましたので、今回は「証明」について書いてみたいと思います。
「証明」とは、事実の存否について裁判官に確信を抱かせることです。「そうかもしれないね」程度ではダメです。「確信」です。もっとも、「確信」というのは推量の一種ですから、「真実」とは異なります。
よく、マスコミなどで、「裁判で真実を明らかにしたい」というコメントを見かけますが、裁判は「真実」を明らかにすることが目的ではありません。紛争を解決するために一定のルールに従って決着を付けることが目的です。
もちろん、裁判の過程の中で「真実」の一部が明らかになることはありますが、「そういうこともある」というだけです。あくまで、裁判の勝ち負けは、裁判官を「確信」に至らせるか否かです。
では、裁判官が「確信」を抱く、とはどういうことでしょうか?
科学の世界においては、99.・・・%の確率で誤差がない場合に、「新たな科学的法則が発見された」と認められるという話を聞いたことがあります。
しかし、法律の世界は違います。
裁判で争いになるのは、主に過去に起きた事実の有無です。科学のように条件を整えた実験を何回も繰り返して、99.・・・%の確率まで検証することはできません。
では裁判官はどうやって「確信」に至るかというと、「証拠」に基づいて合理的な推量を積み重ねるのです。「こうだとすれば、常識的にこうだろう。そうであれば、当然こうなるだろう。」という具合にです。
いわば、「証拠」という点と点を「経験則」(一般的に「常識」といわれるものです)という線で結んで、結論に達するか達しないかを判断するのです。裁判官は、必ず「証拠」から判断を組み立てなければならないのです。
その意味で、前回述べた「証拠」が重要となってくるのです。
もっとも、裁判官がすべて自分で判断しなければならないとすると、余りにも負担が大きいので、裁判官の判断を助けるための制度がいくつか用意されています。
「推定規定」とか「立証責任」などと呼ばれるものです。これを説明するのはかなり大変なので、ここでは省略します。
以上のとおり、裁判で「証明」するということは、「証拠」に基づいて、常識的な判断に従って裁判官に事実の存在を確信させるということです。
このことを理解しているだけでも、いざ裁判となった場合、裁判の流れを把握しやすいと思います。